2025年3月26日水曜日

作ってみたい動画たち(あくまでも希望)




まだ実現可能かはわからないのですが、合成音声ソフトの動画でいくつかやってみたい事があります。

ひとつは、男性音源を中心としたオリジナルストーリーのアニメ(もどき)を作る事。

MYCOEIROINKの音源を探していると使ってみたい男性音源がたくさんあるので、みんなまとめて出演させるためです。
ニコニコ動画では男性音源の動画がちょっと少ないような気がします。男性音源も、楽しい力作の音源がたくさんあります。
男女問わず全年齢の人に楽しめる内容のストーリーにしたい。実は、シナリオの方はけっこう進んでいます。

ただ、私にアニメ制作の経験がない上にスタジオ・ヒトリ状態なので、手間も力も技術も限られています。
どうやって動画に落とし込もうかを画策中。そのままお蔵入りになる可能性もありますが…。


もうひとつは、昔から行ってた漫画を描く事と合成音声を結びつけて、合成音声を使ったモーションコミック動画です。

合成音声の立ち絵素材を(勝手に)描く時に、必ず各音源の利用規約を熟読します。
そこには、オリジナルの創作物に寛容だったり、推奨してくれている項目をよく目にします。

音源キャラクターを用いた動画を作るのもじゅうぶん楽しいのですが、一次創作の完全オリジナル作品に合成音声を素材として使ってみるとどうなるのか、興味深いです。
合成音声ソフトの、また違った使い方や魅力が発見出来ると思います。


とりあえず、今年中には何かしら着手したいなぁ。その前に、色々な物創りに浮気するかもしれない。



ニコニコ動画の企画「VIVID VOICE FESTIVAL ~集まれ!オールジャンルの合成音声パーティー〜」には参加します!動画もなんとか完成しました。
ここ最近、合成音声の動画企画に参加できていなかったので久しぶりです。

コシラズちゃん司会の動画を上げます🍭


2025年3月3日月曜日

2012年のUTAU漫画『DEFOKO SEIN』

 13年前に描いたUTAU漫画。パソコンのデータ整理をしていたら出土しました。

当時はまだクリスタを導入しておらず、コピー用紙に鉛筆で描いたものをスキャンして、フリーのドローイングソフトで色やグレーを塗っていました。

デフォ子の誕生と重音テト、桃音モモの三人娘が揃ってUTAUが発展していく様子を、デフォ子目線で描いた物語です。

XPの画面が懐かしい。

SEINは、確かドイツ語で「存在する」の意味。

(※2025/03/14Google先生の力を使って翻訳できるように、内容の文字を書き起こしました。各言語で読めると思います。)

「DEFOKO SEIN

デフォ子(一番古い記憶は、何もない暗闇にただ、立ち尽くしている場面だ。
そこにぼんやりと、意識だけが漂っていた。)
(!)
(自分が人に近い形をしている事。自分が声を持っている事。
その声は、合成によって人工的に作られたものだという事。)
(少しずつ、少しずつ、自分の事が分かってきたが、未だ、肝心な事が分からない。)
ヒュー(物の落ちる音)
ドドドドドド(衝撃音)
デフォ子(…音。声。歌…。)
(?)

デフォ子(いつの間に…。)
(静かだが。何かの気配は感じる。)
???「あのぉ…。ここはどこですか?」
「さあ…。」
「私にもよくわからない。」
???「私たち、きっと仲間ですよね。
なんとなくですけど、そんな気がするんです。」
???「君たち、なんでのっぺらぼうなんだい?」
解説(※NOPPERABOUとは、日本の顔の無い妖怪のことです。
上手く翻訳ができないようです。※)
重音テト「いやー、もう、大変だったよ~。」
「歌えないのに歌える事になってるのも、
僕の意志とは全然関係ないのに。」
「おかげで嘘つき呼ばわり!
へとへとで、こんなアホ毛まで立っちゃうしさ。」
ぴょろ~ん(※AHOGEとは、頭の上にある寝癖髪の事。※)
「やっと落ち着いたかと思いきや、今度はよくわからない真っ暗闇にいたの。」
「で、君達。なんでのっぺらぼう『だった』の?」
デフォ子「人の形をしているだけでじゅうぶんだとも思うが。」
重音テト「それでも良いけど、せっかく歌うなら、面白い方がいいじゃん。
オプション♪オプション♪(僕なんてキメラだし。)」

桃音モモ「『歌う』?」(慌てる音)
キイ(ドアを開く音)
重音テト「うん。僕、もうひと眠りしてくるわ。」
バタン(ドアが閉まる音)

デフォ子「あなたも、何かあれば呼ぶから戻っていればいい。」
桃音モモ「え?あっはい。」

デフォ子(歌…。そうだ。私たちは歌声を合成するために作られた。音声データの集合体。)
(誰かい必要とされた時、やっと扉を叩かれる。)
(必要とされるだけ、増えていく。)
バッ…(風が吹く音)
デフォ子(一瞬のように、じわじわと歩み寄るように、「ここ」の仲間は増えた。)
(ただの音声データ集合体ファイルにすぎない私たちは、誰かの創作物の中で、
はじめて命を吹き込まれる。)

ぱさっ(軽い物が落ちる音)
青年「もうやめてやる!」
青年「はぁ…。なんでこんなにクオリティが高いの作れるんだ?」
「いやっ。なんで俺が作るものって低クオリティなんだろう。」
「もう、別に俺が何か作る意味、なくね?」
「きっと、どこかのすごい人が、ものすごいものを作ってくれるだろうし。」
「やめる…。なんの意味もないわ。」
「誰にも聞かれない音楽なんて、なんの意味があるんだよ…?」

カチ(マウスの操作音)
青年「削除しよ…。」
デフォ子「…もし、あなたがいなかったら、その曲は存在しない。」
「この世界中のだれにも、全く同じものを作る事はできないのに」
「聞かれる前に、あなた自身が聞かれないと決めつけていたら、何も始まらない。」
「…………。私の声を聞いて」
カチカチ(マウスの操作音)

青年「明日だ!明日、絶対に消す!」「…たぶん。」

デフォ子(こうして今日もどこかで、新しい音楽が生まれたり消えたりしている。)
(そして)


デフォ子(私たちの世界は無限に広がっている。)

END

















2025年2月26日水曜日

「ブラック・ジャック」展に行ってきた!


「ブラック・ジャック」展に行って来ました。本当、久しぶりに電車に乗りました。横浜に来たのも数年ぶり。相変わらずごちゃごちゃしてるし、西口付近は柄が悪いというのか、空気感が苦手です。

ドブと酸化した食用油と生々しい潮風の臭いがムンムン漂ってくる


まだパニック障害の症状があり電車がとても怖かったので、恥ずかしながら親に付き添ってもらいました。親には感謝しかないですね。頓服薬も用量を守ってガッツリ飲んだ。
どうしても、なんとしてでも、這ってでも行きたかった!これを逃したら二度と「ブラック・ジャック」の生の原稿を見る機会がないと思ったのです。


展示の会場は、横浜駅直通のビルの上階でした。平日の午前中に行ったので、入り口はすっきりして混雑はありませんでした。午後を過ぎて、徐々にお客さんが増えて来ました。老若男女、様々な層の方を見かけました。さすが、ブラック・ジャック。

入場すると、入口付近に撮影可能スペースが。手塚治虫がブラック・ジャックを執筆していた作業机の再現がありました。
今となってはレトロに感じるブラウン管のミニテレビや週刊誌、新聞記事の切り抜きが散乱しています。意外な事に、イスは恐らく女の子の学習用のようでした。娘さんの物でしょうか?



壁には、各メインキャラクターの展示パネルが飾られています。







ここから先は、撮影禁止エリアになりました。

展示場のブースの壁にびっしりと、直筆の生原稿が飾られていました。そうだ!これが見たかった!

大好きな話の原稿や、超有名なセリフ、名シーンの原稿が、惜しみ無く展示されています。当時は当たり前ですが、完全アナログ原稿のため、写植の後が残っています。鉛筆で走り書きされた手塚治虫直筆のセリフ文字を見る事が出来ました。
私は紙マスクをしていましたが、マスクの下ではずっとあんぐりと口を開けていました。嬉しくてニヤニヤ笑う事も。とにかく、感極まりました。


生の原稿は、最初は真っ正面から絵をシンプルに眺める。次に、斜め下から眺めました。つけペンの筆圧でへこんだ紙や、ホワイトの盛り上がり、墨汁で塗られたベタのテカりが見えます。これぞ、生原稿の質感!確かに手塚治虫の手によって描かれた漫画なのだ!と実感しました。


キャラクターの絵は、本当に曲線が美しかったです。手塚治虫は肉筆で真円を描けたという逸話がありますが、うなずけます。
今でいうところのAdobeイラストレーターのベジェ曲線のように、正確な曲線でした。しかも全く迷いがなく、サラサラと描かれた様子が見てとれました。
体や髪型の曲線は慣れた様子で描かれているのですが、各キャラクターの表情・顔のパーツ・手の表情に関しては、何度も何度も描き直した跡が残る箇所が多かったです。
恐らくはキャラクターの感情表現・演技を、かなり注意深く形作っていたのでしょう


印象的だったのが、第一話のブラック・ジャック初登場のシーンです。ブラック・ジャックの顔を、何度も何度も修正した跡がありました。
特に目元。数ミリ単位で直されたようでした。目の描き込みも緻密でした。絵のタッチもややリアル寄りで、手塚治虫独特の丸くて可愛らしい絵からは離れていました。
劇画が主流の1970年代、手塚治虫は当時スランプ気味で「時代遅れ」と言われていました。ラストチャンスだった連載の、最も重要な第一話の主人公初登場シーンに、相当に注力したのでしょう。迷いや苦悩が感じ取れました。

気になったのが、とある原稿のコマの配列を修正する際に、恐らくスプレーのりを使って切り貼りした箇所です。50年近く経過した現在、原稿そのものが酷く黄ばんでいました。濃いセピアカラーのようでした。スプレーのりは物によっては化学反応を起こして、紙が劣化してしまいます。

漫画原稿の扱い、漫画という存在の扱いが、1970年代ではまだまだおざなりで小さかったのでしょうね。週刊連載で、大急ぎで作業をしていた事情もあるかもしれません。
今でこそ、IP(知的財産)ビジネスとして大きな市場になっていますが、当時の漫画媒体は紙の書籍を売り上げるか、子供向け玩具の売り上げしかビジネスが出来なかったからなのかもしれません。
私は漫画の文化は近い将来、文化財扱いされると思っています。特に、手塚治虫の原稿は重要文化財ですよ!そのため、「なぜスプレーのりを使ってしまったの!?」と心の中で叫びました。



ブラック・ジャックと必ず対(つい)として扱いたいのが、ピノコの存在です。
私は「ブラック・ジャック」のアニメ、ドラマなど、第三者のクリエイターによって映像化された作品もチェックしています。そこで毎回気になるのが、ピノコの描写です。クリエイターによっては、ピノコを持て余してしまっているパターンがあります。

第三者のクリエイターが映像でピノコを表現するとなると、塩梅がかなり難しくなると思われます。要因は色々あります。

ブラック・ジャック単品を描くには、対(つい)にするキャラクターをドクターキリコにすれば、大人向けのダークかつシリアスな本格医療モノとしてスッキリと描けます。
ピノコを全面に出し過ぎると、やや子供向けっぽくなります。
一方、ピノコの存在をリアルに「奇形嚢腫の人造人間」として描くと、現在の医療ではまだ再現が出来ずに中途半端になってしまいます。映像で表現すると、悪い意味で嘘臭くなってしまいます。
だからといって子供らしく騒がしく描くと、ブラック・ジャックのシリアスさやダークな要素の足を引っ張ってしまう可能性もあります。
でもピノコを省いてしまったら、ブラック・ジャックの人間味のある言動や可愛らしさが引き出せなくなるので、魅力や面白さが半減してしまいます。

ブラック・ジャックとピノコのベストコンビは、手塚治虫の「漫画」という媒体だからこそ、最高の形で表現できているのかもしれません。
手塚漫画として100%完成しているので、映像化が超絶的に難しいんでしょうね。きっと。
足しても引いても100%から遠ざかる。
だから少し不満があっても、第三者のクリエイターさん達に言及する気持ちが起こらない。手塚治虫も著書で、「作品に大切なのは新しさだ」と言っているので、恐らく多少の改変にも寛容なのではないでしょうか。むしろ、どんどん新しさで挑んでこい!って思ってそう。ご本人にしか分からない事だけど。

個人的に好きな映像化作品は、出崎統監督のOVAアニメです。
ブラック・ジャックがさ…。もうさ…。痺れるほどカッコいいんだわ!ダンディーで男前で哀愁があって。多分、男も惚れるカッコ良さです。
あと、連続テレビアニメだった「ブラック・ジャック21」も個人的に好きでした。
原作でブラック・ジャックの救われなかった過去を補完しつつも、先の読めないオリジナルシナリオとして楽しめるアニメです。



生の原稿を目に焼き付けるように凝視して回っていたら、気がつくと3時間以上が経過していました。
最後のブースに撮影可能なスペースがあり、キャラクターの等身大パネルがありました。間久部もいた!
多分、パネルと一緒に会場に来た人が写真を撮って楽しむ参加型スペースなんだけど、顔色の悪いひとりの成人とその親ではとてもはしゃぎまわる気分になれず、粛々と誰もいないパネルだけを撮りました。





出口には、展示会オリジナルグッズを含むショップがありました。
私はあまりグッズには興味がありませんでしたが、ピノコのアクリルキーホルダーがあまりにも可愛くて、一つだけ購入しました。
手塚治虫ご本人の描くピノコが本当に可愛い。




手塚治虫が生れた年は1928年。あと3年で生誕100周年です。
もしも手塚治虫が現代を生きていたら、どんな活動をしていたでしょうか。

今や、パソコンで絵や漫画を描くのが主流になっています。iPadなんていう機械の板切れで、いつでもどこでも漫画を描く事ができます。スマホでいつでもどこでも漫画が読めます。誰でもWeb上で簡単に漫画を発表できます。個人がWeb上で放送局を運営して映像を公開する事もできます。
ボーカロイドやVtuberなど、ストーリーを伴わない漫画風キャラクター単体が愛されて、大きなビジネスとして成り立っています。
漫画イラストのアバターのみで活動する歌手もいます。
個人でも3Dアニメを簡単に作る事も出来ます。
課題はあるものの、クリエイティブ業界にAIが影響し始めています。
また現実世界の医療分野では、iPS細胞の発明。コロナウィルスによるパンデミックなどが起こりました。
ヨーロッパやカナダでは、安楽死・尊厳死が合法化されつつあります。これから超後期高齢化社会を迎える日本でも、いずれ課題になるでしょう。
上げていたら、まだまだキリがありませんね。


こんな現代を手塚治虫が生きていたら、どんな風になっていただろう。
手塚治虫の著書を何冊か読んだのですが、手塚治虫は新しいものや技術をどんどん吸収して自分のものにしていく柔軟さと貪欲さ、優しさと教養があり、全てひっくるめて天才だと思いました。

きっと、デジタル環境も受け入れてクリスタや液晶タブレットを使いこなし、3DCGやAIを駆使しつつ、YouTubeを見まくってるかもしれませんね。
YouTubeチャンネルとか持ってそう。容易く金の盾を貰いそう。ライブペイントの生配信やってくれないかな。
手塚治虫は作詞もされていたから、有名ボカロPとコラボして、初音ミクのPV絵と作詞を担当して欲しい。
現代の才能ある売れっ子漫画家に嫉妬心をメラメラ燃やしながら、それらを更に凌駕する作品を作り出してそう。
美少女ケモナーVtuberのキャラクターデザインをして、ママ(絵師)になってたりして。
SNSをやってたら、売れっ子漫画家への嫉妬心を露にして大炎上してそうな気がしないでもない。炎上した後、すぐに「あなたの才能に嫉妬しちゃったんだ。ごめんなさい!」って謝るのがルーティーン化してそう。
やらかしで、漫画系まとめサイトを賑わせてそう。トピック名「漫画の神様、またまたやらかすw」とか。
手塚治虫の出身地である大阪で開催される大阪万博のイメージキャラクターを担当してそう。(ミャクミャクとかいうクリーチャーはボツにして欲しい…)

真面目な話としては、iPS細胞の山中教授と対談して欲しいな。対談を載せた分厚い本を読みたい。安楽死・尊厳死に関する見解も聞いてみたい。


あと手塚治虫と宮崎駿監督が、どんな関係性になっていたのかが気になります。

手塚治虫に憧れて漫画家を目指していた若き頃の宮崎駿監督はアニメの道に進んだ後、手塚治虫のアニメーションに対する商業的な考え方がそぐわず、アニメーターとしての手塚治虫を否定してきた。宮崎駿は手塚治虫に対して、猛烈な憧れと猛烈な反発心を持っている、不思議な存在です。
その後、アニメーション業界で超絶天才っぷりを発揮した。
スタジオジブリは、1980年代後半に設立され台頭しました。それでも、まだまだ日本アニメはマイナーだった。一方、手塚治虫が亡くなられたのは1989年なので、その後の宮崎駿監督の世界的な活躍を知らない。記録によれば、「風の谷のナウシカ」を高く評価していたそうですが。

手塚治虫から脱却して日本アニメを世界レベルに押し上げた宮崎駿監督と、日本アニメの先駆者である手塚治虫の愛憎劇(?)も見てみたかった。

宮崎駿作品の世界的ヒットを目の当たりにした手塚治虫が対抗心から、ジブリとは全く路線の違う傑作日本アニメを作っていた未来があったかもしれない。

コラボとか………絶対しなさそうだな!
一般人は誰も追い付けない、天才VS天才の空中戦を繰り広げそう。


色々と、思いを馳せてしまいます。
でもきっと手塚治虫の漫画に対する情熱、子供の未来を思う心、戦争の醜さへのメッセージ、命の尊さや力強さ、人間の闇や風刺をシニカル・コミカルに描くセンスは、いつの時代も不変でしょう。


「ブラック・ジャック」展、とても楽しかったです。
体調的には疲れたけど、無理して行った甲斐がありました。

一次創作漫画「夏服ピエロ」が完成しました。

  漫画が何とか完成しました。投稿サイトにアップしたので、こちらから読めます。 マンガラボ Days Neo 色々とあって、ここ数年規模で絵や漫画が描けない状態でした。 少し前に、 10年以上前に自分で描いた漫画のフォルダーを見ていたら、 この「夏服ピエロ」がありました。 旧作の...